近鉄電車の写真を撮り始めたころは、まだまだ当時新鋭の30000系に注目していたのはもちろんですが、幼少から馴染みの10100系の姿は既になかったですが、20100系あおぞら号にもかなり関心を持っていました。
初めて車両撮影のため名古屋線に訪れたときのこと、白塚車庫にある20100系の姿を見つけました。
この姿をカメラに収めたかったのですが、ホーム側からは手前に停まっている2610系が邪魔、改札への通路からは遠すぎだけど、仕方なくその位置から撮影していました。
その時、それに気づいた検車区の人が声をかけてきました。
「そこからだと撮りにくいだろ。この横の通路からだったら横まで行って写真撮ってもいいよ。」
正直、この時の嬉しかったことは言うまでもありません。
おかげで、20100系を近くでゆっくり撮影、観察することが出来ました。
検車区の人にお礼を言って、白塚駅を後にしました。
それからもう30年ほど経った今、もうこんなやりとりは無いでしょうが、その時に撮った写真は画質こそその後に撮ったものには劣りますが、思い出のある貴重な存在となっています。
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この記事へのコメント
とうこ
なんてインパクトのある車両でしょうね・・もちろんデザインは古いのですが^^;いまさらながら特急と同じ三角のヘッドマークいいですね、ちょっと欲を言えばお客の入り口は、子供たちが一気に乗り降りすることを考えると通勤車の両開きドアもありかもしれませんね~
@いちじきNゲージでエンドウ模型さんより発売されてましたね~いまならマイクロエースさんあたりNゲージ化があるかも。
@横に脇役よろしく当時の通勤用のマルーン1色の電車いいですね~(2610系・2800系?)
ennzu
ten-rock
その後好意に甘えてはいけないと人に言われたこともあり、本社に許可申請して数回工場や車庫に入れていただきました。その時にはモワや20100系のパンタを上げていただいたり、車内に入れていただいたりしました。
今では個人にこのような対応は望むべくもありません。
貴重な体験でした。
ただの通行人
私の場合、撮影にはあまり興味がないせいか、駅で走行中の列車を携帯電話や家のコンパクトデジタルカメラ、使い残しのレンズ付きフィルムで撮影することが大半です。
今では出来ない対応でしょうね。
ひろし
廃車群が留置されていましたので、撮影の許可を申し込みましたが、断られました。
残念でした。
いかづち
(^^ゞ
ただの通行人
私の小学校の修学旅行、30000系でした。
同級生と妙に興奮した記憶があり、昔も今も小学生にはビスタカーが好まれるんだな、と当時を振り返って思います。
つい5年ほど前の話です。
今では週2~3回程度は特急に乗車しますが、後発の22000系や22600系に比べ多少見劣りするな、といった印象を受けます。
とはいえ私の近鉄特急の原点はやはり網棚。
スナック初期更新車かサニー未更新車かは忘れましたが。
車庫の話題から離れてしまいましたので、ここで車庫の話題に。
家の近所に西大寺車庫と宮津車庫(こっちは学校の方が圧倒的に近いですが)があり、特に宮津車庫は通常昼間は空なことが多いですが、団体運用や訓練などでなにかが停まっていることがたまにあります。
そのときはなぜここに居るのかということを考えながら乗っています。
びす・たかお
検車区(車庫)内撮影、思い返せば私も若干お世話になりました。地上目線から真近に見る近鉄車両…、只々その巨大さ(!!)に圧倒されたこと、そして床下から微かに香る、"オイル臭"の記憶が今でも鮮明に残っています。
そんな巨大さを実感出来た近鉄の車両の中でとりわけ20100系初代、『あおぞら号』は極めて異質の存在でしたね。ただでさえ車両限界寸法ギリギリに制作されたボディに加え、他車にはない独特のカラーリングがその存在感を更に強調していましたからね。
趣味活動としてのマナー(=礼儀作法)の悪化が一部で常態化してしまった現代では作業現場の職員の方々も臨機応変に対応していただくような事はもう望めないでしょうね。ましてやこれが沿線の一般人となるとその反応は顕著です。私も以前、某沿線で撮影を楽しんでいた際、私有地に足を入れた入れないであらぬ罵声を浴びて非常に困惑してしまった経験があります。(その時は公道から撮影していました。)
ただ、"近鉄の電車"が好きな一個人…、素直に趣味を楽しむにはあまりにも世知辛い時代になってしまったと嘆いてしまいます。
どら太
初めて見たのは家族で東青山四季のさとに出かけた時に東青山に停車してた団体のあおぞら号でした。早速、親のカメラを借りて興奮気味で撮影したの覚えています。
ennzu
デトニ2300
nyanyao
大和路ポストマン
これを両開き扉にすると、昭和時代の”楽”っていう感じでしょうか。
しかしやはりこのスタイルにはこの扉が似合っていますよね。
大和路ポストマン
確かに団体専用車故のインパクトある車両でしたね。赤塗装にブルーのヘッドマークの20100系あおぞら号、当時の修学旅行生や団体のお客さんは乗車する時の感動も大きかったと思います。
ちなみに今の18200系や15200系では役不足に感じます...特急と同じですもんね。
大和路ポストマン
確かに個人的に特別待遇は、グローバルな観点からは良くないことかもしれませんが、当時は取り巻く環境も今とは違い、何かしら人間的なふれあいがあったのは確かだと思います。
おっしゃるとおり今では出来ない過去の貴重な体験ですね。
大和路ポストマン
記録媒体はどんなものであれ、画像や音声など記録することは良いことだと思います。
今目の前に見ているものは日常でも時が経てば非常・貴重になりますからね。
大和路ポストマン
撮影許可が出なかったのは何か特別な理由があったのでしょうかね。
何れにせよ残念なことですね。おそらくかなり貴重な光景たっだでしょうに...。
大和路ポストマン
それは、今でこそあかされる出来事ですよね。
とはいえ、昔(...昭和の時代と言うべきか?)は今では明らかにご用となってもおかしくないこと、見つかったとしても大目玉食らう程度だったかも。
大和路ポストマン
20100系に対する思いは私もびす・たかおさんと同じです。
国鉄特急色を彷彿させるカラーリングにオール2階の大柄な車体に、10100系貫通側先頭車の顔...。確かにその存在感は他の車両に無いものを持っていました。
おっしゃるとおり、一部の心ない者の行動が鉄道ファン全体に対してのイメージを悪化させているのは確かだと思います。
大和路ポストマン
インパクトある車両の出会いって忘れること無いですね。
ちょっと話それますが、わたしも昔はどら太さん同様、南大阪線沿線住人だった故、大阪線2600系、2610系などは一般車でも”別物”というイメージでした。
余談ですが、冷房車は大阪・奈良線でしか見たことの無かった1974年当時、沿線近くで遊んでいたときに6200系の試運転が通り過ぎたのを見て、度肝抜かれた(ちょっと表現おかしいかも)のは今でもよく覚えています。
大和路ポストマン
私は地上時代、ましてや小坂車庫時代もまったく知らない世代ですが、知人の話では当時の状況は聞いたことがあります。
当時と現在では周辺の環境も変わり、特に高架化された路線ではそれも顕著でしょうね。
しかし、今思うと当時の光景は”夢物語”でしょうか。。
大和路ポストマン
まさしく、古き良き時代と言うべきでしょうか。
情報社会になった昨今、コミュニケーションの相手がパソコンではなく、当時のように人である本来の姿が愛おしく感じますね。
ただの通行人
私は基本的には乗車が趣味なのですが、慣れ親しんだ車両が廃車される瞬間はかなり複雑です。
しかし、今は日常のことでもいずれ非常・貴重になってしまう。
今のうちにいい加減でも良いから記録を残そうと思います。
網棚スナック、南大阪線デッキレス特急、8059Fの片割れモ8459、そして伊賀鉄道の860系。
噂では今年度に16000系を2編成置き換えるとの事。
そして、860系は2011年度頃までに中古車購入で置き換えが決定していますし、モ8459は来年で定検切れ。B更新からも12~13年経っていることからこ今年が最後の可能性が高い。
吉野線と伊賀鉄道は遠いので無理かもしれないですが、他の二つは本当に日常の光景ですので今のうちに収めておきます。
特に8459が扇風機を付けて走る姿、これはこの夏が最後でしょうから、急いで記録します。
とうこ
ついに22600系の南大阪線バージョンが登場ですか・・16000系フリークのみなさんは撮影頑張りましょうね^^
16000系もB更新を受けて綺麗になって走り始めているグループもいるので当面、特急百花繚乱ですね^^
どら太
南大阪線で度肝を抜かれたのは、管理人様と同じように、沿線で遊んでた時に見た、6000系が改造されて側方向幕が取り付けられた車両と6600系でした。
6000系の側方向幕車は本当にビックリでした。その時の記憶は鮮明に残っています。