山田線4連普通

最近あまり撮影に動いてなかったので、代休を利用して早朝より平日の山田線へ行ってきました。
過去、4連の白塚行き普通を狙って平日早朝に出かけたりしたものでしたが、近年はそんな機会もほぼなくなりました。

今回は「とばしまメモリーに出会えたら良いな」というくらいの感覚で出かけたのですが、なかなか面白い運用も見ることが出来ました。
伊勢中川駅では五十鈴川行き普通の4連2623Fが停車中、これに乗るつもりでしたが写真撮っているうちに出て行ってしまいました。^^;

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当然早朝や夕刻はデイタイムでは見られない編成の運用もあるのですが、なかなか関西から出向く際は出会う機会も少ないですね。

次の普通で移動中、松阪駅で先発の鳥羽行き急行を何気なく見ていると、これが4連でびっくり。
どうやら鳥羽駅で折り返し、明星行きの普通になるようなので、明野駅でそれを狙ってみることにしました。
ここで伊勢中川駅で見た2623Fが五十鈴川駅折り返しの上本町行き急行となってやって来ました。

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しばらくするとお目当ての4連明星行き普通が来ました。

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昼間はなかなか見るのが難しいク2590形の顔が見られたのは嬉しいですね。

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この後、この編成は明星車庫奥にてお休みしておりました。

ここも消滅

近くそうなることは想像してはいましたが...
和田岬線の103系、あと1週間の運用となりましたね。

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大阪環状線や大和路線などでは当たり前の存在でよく利用した車両、冬場は隙間風に悩まされてはやく置き換えてほしいなんて思ったこともありましたが、気が付けば周りから103系が消えてしまっていました。

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和田岬線で頑張って来たオリジナルに近いスタイルの103系、致し方ないこととはいえ引退は残念ですね。

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旧特急色消滅

12200系運用終了後も長らく東花園車庫に留置されていた12253F、何かに復活することを期待していたのもむなしく先日廃車、解体処分となりましたね。

晩年は私の身近な京都・橿原線運用も多く親近感がありました。

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これにて私の世代では「これぞ近鉄特急」というカラーが消滅してしまいました。

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車内喫煙が出来たころのク12353の座席灰皿。
旧座席時代は金属製で灰除去用の金具も付いていました。

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こびり付いた煙草臭=近鉄特急...という感覚が未だにある自分、現世代の人には無い感覚でしょうね。^^;

追悼

小学生のころ、日曜日に釘付けになったアニメ...「宇宙戦艦ヤマト」
月曜日はクラスの友達と前日のストーリーの話題で持ちきりだったっけ。

数々の名作を描き続けた松本零士氏が逝去されたニュースはさすがにショックでした。

身近な伊賀鉄道の車両に氏のデザインラッピングが施されるというのは嬉しい限りでした。

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心よりご冥福をお祈りいたします。

祝日臨時列車

今年は2月11日の建国記念日が土曜日となり、「あぁ、休みが1日減った!」なんて残念がっている人も居られるのではないでしょうか。(自分はもうあまり気にならない環境になって来ましたが...^^;)

建国記念日には近鉄南大阪線では臨時急行「橿原号」が運転されていたのは、ファンの方はご承知のことでしょうが1980年代半ばには特急「建国号」も設定され、(嬉しい意味で)驚いたのを覚えています。臨時のみではなく定期列車にも設定されたかはよく覚えていませんが、上下何本か運用されていたと記憶しています。

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その後、特急の設定がなくなり「橿原号」が「建国号」として臨時急行で運用、更に2000年前後には臨時運用ではなく定期列車へのヘッドマーク掲出となり(後年は橿原神宮前行きではなく吉野行き急行)、気が付けば愛称名も消滅してしまいました。

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当時はこの豪華な臨時列車も、沿線や駅で撮影している人を見かけることは数えるほどでした。
愛称列車復活は個人的には望みたいのですが、1日のみの運用となると現況では(安全面においても)なかなか実現させにくいでしょうね。

初名鉄

1月28日、冨吉車庫で撮影会って個人的には初めて、午前の部に参加でたっぷりすぎる時間の中撮影を楽しみました。

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午後からの予定は何も考えていなかったけど、いつもと趣向を変えて名鉄に乗ってみようと思い...
自分の中でイメージしていた形態の名鉄車両(貫通扉付き)はもう既に残り少なくなっていたのですね。

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近鉄電車ばかり見ていると、スカートのない車両がまだ見られるのは羨ましく見えました。

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ならしかスペイン村ヒストリートレイン

去年のお正月は、終夜「楽」や信貴線準急など忙しく追いかけていましたが、今年は「開運号」も見に行くことなく3日に今里駅に出向いたのが撮り初め。

小一時間居てる間に、次々とカラフルな車両もやって来てくれました。

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一層の事、3車両まとめてみました(←何故?)

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金具

前回の骸骨灯に続いて、どうでも良い化石ネタですが...
昔からいつも見ていましたが、自分が知る前世代アイテムなので特に詮索することもなかった旧貫通扉幌ダンパーの支持金具。
旧貫通扉幌は現在の片方ではなく連結者の両方向から中央で突き合わせるようなタイプで、突き合わせ面にはフレームが存在したためそれを支持するダンパーが取り付けられていました。

旧型車にはほぼそのダンパーを支持する金具が貫通扉上部両側に残っていましたが、高性能車にも何系式かは残っていました。

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ざっと見てみますと、奈良線は確認できず、大阪線は1460系あたりまで、南大阪線は6000系初期タイプまで、名古屋線は1600系までくらいでしょうか。

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後に更新工事などで撤去された車両も多くありますが、同世代車両から見ると名古屋線と南大阪線が後年まで残っていたように思えますね。
南大阪線の金具は台座が少し大きく、ダンパー支持部分が他線のものに比べて外側にあるので、幌フレームのサイズか仕様が違ったのでしょうか。

今では五位堂車庫と高安車庫にある元1650形の入替車に残るのみとなってしまいました。

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これも風前の灯火となったアイテムですね。

消えゆく灯

先日、水間鉄道に訪問した時に水間観音駅横に少し荒れた状態になっている旧型保存車のクハ553を近くで見て、ふとあるものに目が留まりました。
いわゆる「骸骨型ランプ」とちまたで呼ばれている旧型車に使用されていた標識灯具。

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自分を取り囲む環境の中には、まだまだ普通に見ることが出来るアイテムだったはずなのですが、時の流れは容赦なく既に現役車両で見ることはほとんどなくなりましたね。

昔から目にしていたものとして形状が2分しているという個人的なイメージですが、身近に目にしていたものは近鉄南大阪線の6411形、これは車体一体になっているタイプではなく、単体の灯具を取り付けたもので、白/赤の切り替えは灯具上部の取っ手を回して行っていました。
灯具上についている赤白色分けされたレバーが見えますね。
その後、養老線などで5300形や5820形にも同じ形状の灯具が付けられていましたが、切り替えはスイッチで行っていたようですね。

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もう一つのタイプは、車体に埋め込まれておりレンズは一段窪んだ形状をしたもの。近鉄では6420系や電動貨車となった元2200系や1400系がこのタイプでした。こちらは白/赤用のランプと赤色フィルターが組み込まれているような感じでしたね。(詳細は分かっていませんが...)
ちなみに、元特急車の6430系は後者のほタイプと思いきや、前者のものが付いていたのがちょっと不思議に思えた時もありました。

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近年までは京阪電車2600系でも見ることが出来たのですが、おそらくもう営業車両では見ることが出来なくなったのではないでしょうか。

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不定期とはいえ、まだ現役でこの”アイテム”を見ることが出来るのは身近なところでは阪堺電車の160形くらいでしょうか。

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ちなみに、クハ553のこんなもの↓も、憶えている中では幼少のころ阪急電車で見かけたくらいかもしれません。

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一家来阪

クリスマス寒波がやって来てめちゃくちゃ寒い週末ですが、「めでたい一家」が来阪するということなので、会いに行ってみることにしました。
...直前にサザンが被りそうになってヒヤヒヤ。

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普通列車の後続だったのでゆっくり来てくれました。

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和歌山からやって来た「かい」「さち」「なな」「かしら」は仲良く難波へ。

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せっかくの来阪も「めでたい一家」は程なくして早々に和歌山へお帰りになりました。

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あおぞら?

大阪線の電車で五位堂車庫前を通ったら...
凄い色になってました。

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あおぞら号の色?

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窓が1つ塞がれていますね。

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何か改造したのでしょうか?

仕切りドア?

タイトルのような呼び方をしていたかどうかは不明ですが...
近鉄高性能一般車の冷房車(冷房化)以前は、連結時には運転室仕切り板の車掌側(下画像の〇部分)も乗務員側扉方向に開いて広いスペースが出来ていました。

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中央扉と同じような感じで↓

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混雑時には有効なスペースだったかもしれませんが、連結部分との仕切りがなくなるためちょっと騒音があったかもしれません。(今もモ8459はそうかな?)
冷房車(冷房化)ではこの部分の運転室側に冷房用機器が設置されましたので、ここを開くことは無くなりました。
冷房化された車両は、過去扉であった壁構造や座席手すりパイプなどに当時の面影が残っていますね...これも消えゆく記憶のアイテムとなっていくのでしょう。
あー、開いているときの記録をしていなかったのが残念。


嵐電訪問

初めて嵐電に乗りました...今更ですが。
漢字だけだと絶対読めません。「かたびらのつじ」

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レトロ調デザインのモボ21形、1994年製なんだそうですね。

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江ノ電カラーの車両も...。

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心地よい吊りかけサウンドが良いですね~!

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ちょっと前に話題にした”パンタ紐”、側面についていますね。

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ある理由であまり時間がなく十分撮影できなかったので、もう一度ゆっくり行ってみたいです。

観音像開眼法要

昔は現在の様な印刷技術もなく、当時使用されていた行先系統板の文字やデザインは鉄板にペインティング(手塗り?)されていました。
愛称列車はカラフルなデザインを同じように製作されていたようですが...。

1983年3月、インドからご招来された大観音像の開眼法要で、近鉄南大阪線で運転された「観音号」。
後年にわたり運転されるものではなく、このタイミングだけの臨時列車のためになかなか繊細なデザインの愛称板が製作されたのは、さすが南大阪線とも言うべきでしょうか。

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愛称板を近くで見ると、「あすかみよしの号」や”準”の文字などの跡が見えて、何度も塗りなおされているのがよくわかりますね。
...手間がかかっていたことでしょうね。

意外なところから着手

次期近鉄一般車登場による現行車両の整理は順次実施されるのは必至なのですが、ワンマン運用の8400系3連車にまず白羽の矢が立つとはちょっと意外でした。

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 >> 【2010年9月19日 ファミリー公園前付近 8416F】

8416F、名古屋線1006Fとともに、既に解体のために搬出されたそうですね。
田原本線減便の影響もあるのでしょうかね。